
幸せとはなんなのか?
と考えていること自体が、幸せ。
無条件の愛とは、そういうことです。
自分が愛されるのにも条件はないので、それにより認知の歪みは無くなってくるとも言えます。
暇だから悩む、とも言えます。
トランプができたのも、麻雀ができたのも、産業革命の頃。
人間に暇ができたとき。
あらゆる哲学者も、やることがなくて暇になって、
初めて「生きるとは何か?」という人生哲学について考えることができたとも言えます。
要するに、自分は暇だったんだあ。。。
ちょっとショック。
確かに、忙しければ、人生をまっとうしていれば悩む時間すらもない。
この道を突き進む!というランナーは、
道に迷うことなく突き進むしかないのです。
正解を選択するのではなく、洗濯を正解にしていく
自己不在の人が多く陥りそうな話なのですが。
得てして褒められることを知維新に生きてきた人は、
自分というものが分からなくなります。
常に他人の目を気にして、褒められる選択をしようとする。
しかしそのまま突き進むと、自分だけの正解を選ぶことができなくなる。
選択を正解にしていくというマインドが、とても大切です。
「憧れ」理想を掴み取れ
あるものに自分を当てはめているのではなく、新しい自分を造っていく。
そのために理想の憧れを明確にしておくのはとても最高です。
そしてそれをすでに手にしたものとして、臨場感たっぷりに味わう。
もはや過去形で味わう。
そうすると自分のものになります。
自分のものになっていないとおかしい。
過去のことなのだから。
それくらいの勢いが必要です。
これは苫米地さんのI×V=Rというものから学びました。
自分を洗脳する、幸福感で溢れる
どこまでも自分軸で生きること、が共通点だと思います。
自分が好きかどうか、
自分が得意かどうか、
自分が貢献できるかどうか。
自分で自分を洗脳する限り、人は介在しないので危ない目にも遭いません。
誰が神ではなく、神はそれぞれの心の中にいます。
潜在意識。
目には見えない、健在していない自分、それが神田と、私は思っています。
潜在意識が神、好きなものが神
あなたが好きなものが神です。
いつでも気分が良くなって、嫌なことを忘れ、
常に愛されていることを感じることがでる。
さらにそれはあなただけのご褒美。
この世に生まれ落ちてきてくれたあなたへのご褒美。
あなたの好きなものに対する「存在してくれてありがとう」という素直な気持ちが、
あなた自身を「存在してきてくれてありがとう」という幸せな気持ちに包んでくれます。
嘘をついて手にした好意は、盗んでいるのと同じ
本当の愛とは、甘いだけではありません。
時には厳しいと思われることも、本当は愛なのです。
皿洗いのアルバイトの男の子が、
沙羅全部洗っとけよ!とまかされ、キッチンのみんなは帰ってしまいます。
愛されていることを知らない男の子は、「なんで自分ばっかり!」
と思ってしまうでしょう。
しかし愛されていることを知っている男の子は、
「自分一人だけにしてくれて、たくさんのソースをお皿に残してくれた!味見して勉強しろって言うことだ!」
と気づくことができます。
極めてポジティブですね。
アルバイトに入る開始時間に、
「今日も来てくれて本当にありがとう!感謝しています。」
とアルバイト先で最初に言われていたら、後者のポジティブな考えかた、
捉え方ができます。
「私はなんでもできる、自分の出来る限りを尽くして、楽しみながら世界に貢献するんだ!」
と思える思考回路は、育ってくる環境でいかに自分の存在価値を感じ取れるかに尽きると思います。
もしかしたら、そんなものもいらないかもしれない。
とにかく否定されながら教育を受ける現代の日本は、本当の意味で不幸とも言えます。
自己肯定感の低さで自殺してしまう人がいる中では、そう思わざる終えません。
大前提として「あなたは最高に素晴らしい」
私は天使。
素晴らしき存在で全てに愛されている。
そんな心持ちで生きていたら、どんなに不幸に思そうな出来事も、幸福で包まれた解釈でしか受け取れなくなります。
雨は天の恵み。
電車が止まっていたら、ウォーキングできる運動のいい機会だ!
全部ポジティブになります。
見えていなかった部分が見えるだけ。
ネガティブな部分だって見えていていい。
ただ、自分にとって心地の良い方を選べばいいだけ。
認知の歪み、とは光が全てに当たっているか、当たっていないのか。
その違いだけなのです。